分かち合いの経済の将来についての思索

STWR

不平等が拡大し、国々が世界的な炭素排出を削減できずにいる現在、気候変動および経済的、社会的排除の根本原因である政府の政策を改革するために分かち合いの経済運動が動員しない限り、それにどのような将来があるのでしょうか?


殆どの分かち合いの経済の活動が主に白人の中流階級を惹きつけることを証拠は暗示していますが、それは「排除されたコミュニティ」が、分かち合いの経済のサービスからもっと直接的に利益を得ることを、どのように保証するかについての重要な疑問を提起します。そしてこれらの懸念が分かち合いムーブメントの将来そのものの基盤を形成することが可能です:もし共同消費および分かち合いのためのプラットフォームが、資源を最も必要とする人々のためにアクセスを改善しないなら、分かち合いの経済は恐らくその基本的な目標にかなっていないのです。そのような課題は、激化する貧困、グローバルな環境危機および天然資源を巡る紛争の点から、私たちが分かち合えないでいることのグローバルな意味合いについて話をするよう私が招かれた、最近のGlobal Sharing Economy Networkのイベントの討論の中心でした。

そのイベントは、社会的あるいは環境的必要性を充足することに正面切ってフォーカスを絞った分かち合いを基盤とした、代表的なイニシアチブの創始者の多くを共同プレゼンターとして含みました。この部門における多くのオーガナイゼーションがそうであるように、彼らは主にボランティアによって支えられており、利益への必要性によって駆り立てられていないにもかかわらず、食糧へのアクセスを拡大させることにしばしば効果的であり、彼らが目標とするコミュニティのためにネットワークや他のリソースを援助します。しかしながら、このミーティングの一番重要な点を繰り返すかのように、観客の多くが(都市近接地域における学校の学長やロンドン近郊で様々な形態の社会扶助を提供することに関係する人々など)、これらのサービスについて認識がなく、分かち合いの経済のコンセプトに全く親しみがないことを認めました。その上、彼らが共に取り組む、社会的、経済的に不利な状況に置かれたグループもまた、これらの出現する協力および分かち合いの形態について認識がないことが確実と思われました。

この現実に目覚めるような出来事は、大規模なPRとマーケッティング予算を持つトレンディな「分かち合い」企業に主流メディアが注目を浴びせる一方で、人々の生活に即座のインパクトを与えている小さなオーガナイゼーションを疎かにするという傾向の度合いを浮き彫りにしています。例えば、 Food Cycleのようなサービスは、孤立し食糧貧困の中で生活する人々のためのライフラインですが、 AirbnbやUberなどのように業界紙で取り上げられることはなさそうです。そして例えそうされたとしても、その報道が、私たちのディスカッションの焦点である排除されたコミュニティに注目を引くことはなさそうです。

分かち合い経済を支持すべきか、それとも分かち合いの経済を支持すべきか?

恐らく議論の中で提起された最も啓発的な疑問は、時代を超越した馴染みの深い分かち合いの営みと過去約5年間に渡って出現したビジネス志向の分かち合いパラダイムとの間の衝突の可能性が中心でした。言い換えると、私たちは、分かち合いの経済を促進しているべきなのか、あるいは分かち合い自体を促進しているべきなのでしょうか?ある女性が適切に抗議したように、排除されたコミュニティの人々にとって、彼らの所有物(空室、駐車空間および他の余剰物資など)を自然に分かち合うことは常に生活の営みの一部でした。それではなぜ私たちは、この人間共通の振る舞いに新しい名前をつけることによってそれを飾る必要があるのでしょうか。特に、その過程で分かち合いの営みを商業化することによって、一定のコミュニティの手が届かないところに私たちはそれを置いているのではないのでしょうか?

もし私たちが、排除されたコミュニティの人々に達することに真剣であるなら、分かち合いの経済の概念を超えたところを見据え、経済的分かち合いが真に何を意味するかについて考える時が来ている筈です。私がプレゼンテーションの中で概説したように、排除されたコミュニティについての理解はまた、食糧、水および医療などの基本的資源に容易にアクセス出来ない世界中の人々をも考慮せねばなりません。もし分かち合いの支持者が、貧困で生活する人々に達し、環境問題を真に改善することに真剣なら、分かち合いの経済のもっと幅広い定義を受け入れる必要があります – 恐らくそれは、The People Who Shareによって次のように提示されたものに沿っているかもしれません:

「分かち合いの経済は、人的資源と物質的資源の分かち合いを中心に築かれた社会経済的生態系です。それは、異なった人々とオーガナイゼーションによる共有の創造、生産、分配、物資とサービスの売買と消費を包含します」
 

しかしながらこれは、分かち合いの経済より「分かち合う社会」の定義であると考えられるのではないでしょうか?なぜなら前者は主に、民間部門で機能している企業に関連付けられるからです – 彼らのビジネス活動は、本当の意味での分かち合いを反映していないこともあります。分かち合いへのどのような「社会経済的生態系」アプローチもまた、政府および公共部門、 そしてチャリティおよび第三部門、コア経済、ギフト経済、コモンズ、その他諸々の役割を明白に包含せねばなりません。民主主義的ガバナンス・システムもまた、少なくとも社会全体を通して、どのように公平に政治力が分配されるかという点から基本的な分かち合いの形態を象徴するかもしれません。そして今日のグローバル化された経済の中で、富と資源が世界中で分配される方法を考慮することなしに、分かち合いについて話し合うことは可能なのでしょうか。根本的問題は恐らく分かち合いの経済の定義にあるのでなく、それが、民間部門、あるいは地域的、国家的またはグローバルなレベルで行われる分かち合いおよび再分配のシステムに属していないという、広く行き渡った思い込みかもしれません。

分かち合う社会のための政治的アドボカシー

その夜、提起された最後の点のひとつが明瞭にしたように、社会での分かち合いのより大きなレベルを保証するためには、公共政策の役割は極めて重要です。特に、拡大する富の不平等が必然的にこの先何年間かに渡って、さらなる社会的、経済的排除をもたらすであろう時においては。従来のチャリティの取り組みとは違って、排除されたコミュニティに狙いを定めた分かち合いの経済の活動は明らかに、甚だしい不平等の被害を緩和する重要な役目を持ちます。しかし、貧困および不平等をもたらす政策を変革しないことには、分かち合いの経済がこれらの拡大する危機の根本原因に何ら効果を持つことはないでしょう。同様の理論がまた、選ばれた分かち合いの経済の実践者グループのカーボンフットプリントの削減に向けて取り組むよりむしろ、気候変動の全体的原因への取り組みに適用され得ます。

分かち合いの経済に対して「社会経済的生態系」的アプローチを持つなら、分かち合いの経済だけでなく分かち合いそのものを支持すること、そしてそれは、分かち合いの原理が民間、公共および第三部門で具現化されるよう支持することを意味するのだと、その夜の終わりまでに明らかになっていました。既存の分かち合いのシステムを弱体化し、国内および国家間でさらなる不平等をもたらしている政府の政策の現在の軌道を考慮すると、分かち合いの倫理と実践を支持することは、トップダウンおよびボトムアップの両方で – さらに公正で持続可能な経済システムをどのように築くかについての政治的討論への参加を意味します。この提言は、様々な分かち合いの経済についての提案が聴衆によって専門家チームに投げられたそのイベントにおいて広く支持されました。

国際的開発のためのチャリティの多くは、彼らのリソースの一部をロビー活動に、そして彼らが代表するコミュニティの問題に対する完全な政策ソリューションを前進させることに注ぎ込んでいます。恐らく、専門家チームに提案されたように、分かち合いの提唱者はまた、不平等や社会排除の創造に責任のある政策に対して具体的に動員し、地方政府および中央政府によって実現され得る、全体におよぶ経済的分かち合いの形態を活発に支持する必要があります。STWRが最近の報告書で提示したように、この政治的ステップを踏み出すことは、特に世界の最も差し迫った社会的、環境的危機および安全保障危機の関係から、分かち合いを提唱する革新的個人や運動組織のグローバル運動を分かち合いの経済の提唱者と結ぶことが出来ます。これらのより幅広い政治的討論に参加することによって、横行する商業化や消費主義、競争でなくむしろ分かち合いおよび協力に基づいた完全な社会経済的システムを創造することに、私たちはさらに一歩近づくのです。 

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