分かち合いを通して本質的価値観を養う

STWR

世界の貧困や気候変動の問題など – 多くの場合、私たち個人の人生に直接関連をもたない「自己を超えた問題」のための運動への公衆の参加をどのように広め、深め、持続できるのでしょうか。

これは、先週ロンドンで様々な漸進的な団体の運動家や代表者と並んでSTWRが出席した、Common Cause主催のワークショップで投げかけられた疑問でした。

Common Causeは、「さらに平等で持続可能な民主的社会を創造するために、さらにバランスのとれた文化的価値観を推進することに取り組む人々のネットワーク」として自らを述べています。学者や活動家の団体として彼らは、広範囲に渡る社会的および環境的問題についてNGOや他の団体がコミュニケーションをとり、活動する方法を促進するためには、「価値観および構成」の心理的研究をどのように噛み合わせるべきかということについて提案する第一人者です。

彼らの主なメッセージは、持続可能なライフスタイルを本質的に促進する「内部の」価値観に密接に同調するよう活動および運動を構成することの重要性に基づいています。例えば、商品を購入するよう支持者を奨励する環境運動は、資源の枯渇や環境劣化をもたらす同じ消費主義的価値観を刺激するでしょう。そして最近の歴史が実証するように、環境を保護することや気候変動を覆すことによる経済的利益に集中することは、社会的または生態学的懸念より利益や経済成長を優先する市場主導型の経済モデルの優勢性を強化する可能性をさらに増すでしょう。

増え続ける証拠が現在示唆するように:「経済的魅力への依存は、人は第一に(経済的な)自己利益によって動機づけられており、何らかの個人的利益がない限り変革するよう動機づけられることはないという、一般的に誤った概念と一致します。しかしながらその中で、おそらく人間の動機の重要な根源が見落とされています:人は、自己の内部の道徳的基準に沿った振る舞いにより達成され得る肯定的な自己概念を維持するよう動機づけられるのです」

本質的VS非本質的価値観

そのような証拠が多くの活動家にとって常識的に聞こえるかもしれない一方で、(社会正義運動家および環境主義者)など数多くのオーガナイゼーションはいまだ、「非本質的価値観」として心理学者が言及するそれを最終的に刺激するよう彼らの取り組みを構成する傾向があることは明らかです。これらの価値観は、自己利益を超越する集団行動を必要とする社会的、環境的危機に取り組むことを促進することはないであろう – 自己促進、物質的富、権力、地位 – に関係します。代わりに、自己受容、共鳴、そして他人や環境への懸念などの本質的価値観を育成することは、時間の経過と共に社会と自然界に長期的利益をもたらし、より良い結果へと導くことができます。

多様な本質的および非本質的価値観の両方を誰もがもっているにもかかわらず、様々な国々と文化全体を通して本質的価値観が人々の間で遥かに際立つようであることを研究は示しています。その上、本質的価値観を刺激することは、それに関係した価値を強化することに役立つかたわら、非本質的価値観の促進は全体としての社会にとってより良い価値観を抑圧するという逆の効果をもちます。この研究は、より公正で慈悲のある持続可能な世界の創造に従事する人々にとって明確な重要性をもち、集団的活動を通して本質的価値に共通の関心を私たちがもっていることを認識するよう、懸念する国民を駆り立てます。

しかしながら、2010年にCommon Causeの最初の報告書を読んだ後、環境主義社、ジョージ・モンビオットが述べたように、私たちは数十年もの間負け戦を戦ってきました。彼は次のように記しました:「どこまでが正常で容認できるかという認識を変革することによって、政治は私たちの状況と同じだけ私たちのマインドを変える。例えば、無料の普遍的医療提供は本質的価値を強化する傾向がある。貧困者をヘルスケアから締めだすことは不平等を平常化し、非本質的価値観を強化する。マーガレット・サッチャーから始まり、ブレアとブラウンのもとやむことなく続きた急激な右翼への転換は、彼らの政府をもって競争、市場および経済的成功の美徳を強調することによって私たちの価値観を変革した」

非本質的価値観を30年以上推進してきた政府の影響は現在非常に明確です。数十億ドルもを備えもち、意思決定者とメディアへの優先的アクセスを与えられた企業部門はまた、商業的宣伝によって、そして政治家、民主主義および社会へのその影響力を通して、非本質的価値観を大量生産することにおいて極端に効率的です。多国間企業は、権力、自己利益、富の創出など:彼らのために最も役に立つ高収益価値を促進するために、最新の心理的研究を行使することに今では極度に熟達しています。

グローバルなプラットフォームとしての分かち合い

政府と民間部門は共に、非本質的価値観に同調して文化と社会を形成することに成功してきました。彼らは、人間は主に自己中心的で個人主義的、そして貪欲だという誤った仮説を強化してきました。人間と社会についてのこれらのでっちあげられた仮説を人々が長く信じれば信じるほど、これらの信念が社会的、経済的、環境的政策を形取るだろう可能性がますます増します。したがって、本質的価値観を活発に促進し、これらの誤った理解を打ち消す市民と組織が緊急に必要とされます。

Common Causeは彼らのホームページで次のように述べています;「より持続可能で公平、そして民主主義的な世界を築くためには、より権限を与えられ繋がり合う、耐久性のある市民運動を私たちは必要とする」。そのような運動は、世界中の人々に共通する本質的価値に基づかねばならないということを彼らの取り組みから明確なようです – それは、分かち合いの原理に基づいた政策のためのSTWRのアドボカシーの中に私たちが堅固に認識するものです。

分かち合いは、Common Causeが提唱する幅広い範囲の本質的価値観を具現化したシンプルな人間の振る舞いであり、全世代および多様な文化に広がります。同時に、分かち合いの原理に基づく政策が、さらに公平で持続可能そして民主主義的な世界を築くことをどのように促進できるかを想像するのは難しいことではありません。明らかに、分かち合いと再分配の政策は、国内および国家間での不平等性を削減することができます。国際レベルにおいて分かち合いと協力に基づいた経済政策へのアプローチはまた、万人の利益のための世界資源の管理への計り知れない重要性をもちます。さらに、分かち合いへの呼びかけは、私利、貪欲、個人主義の促進とは対照に位置すると同時に、何十年にも渡る経済的不正義を廃絶する必要性を指し示しています。

分かち合いにフォーカスを絞ることは、本質的価値観を促進し、多様なグループにアピールすることに役立つ、世界規模で世論を動員するためのプラットフォームの可能性として、革新者からのさらなる注目を保証するかもしれません。

Photo credit: Takver, flickr creative commons

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