世界飢餓を根絶するために分かち合いの経済に必要なものはなにか

Adam Parsons

前衛的ウエブサイトCo.Existに最近発表された意見記事は、繰り返されるべき重要な疑問を突きつけます:分かち合いの経済は世界飢餓を根絶できるのでしょうか?

これは重要な疑問です。それは、飢餓問題が深刻だというだけでなく、− 記事が認識するように − グローバルな課題が、おおよそ常に地方に限定された、現在分かち合いの背後にあるアイデアの領域であることは稀です。分かち合いの経済を促進している僅かな数の思想家や実践家しか、国際的不平等、地政学的不安定、グローバル・ガバナンス、またはこの場合、世界飢餓などこの時代の最も差し迫ったチャレンジに、この多方面にわたったコンセプトを適応することを考慮していません。

これは、完全に理解できることかもしれません。なぜなら、電動ドリルを近所の人と共有したり、衣服交換や皆でカー・シェアしてサマーフェスティバルに行ったりすることを話し合うことと、難しい政治問題や社会正義の関係から分かち合いについて考えることはまったく異なったことであるからです。これは、現在の経済的分かち合いの論議において多くの場合やる気を削がれるような兆候ですが、この出現する主題には、最初に目に映る以上のものがあるのです。

特に、北アメリカおよびヨーロッパ全体を通して何百万人という人々が、発展社会の生活を支配する過度の消費主義の、説得力ある代替としての経済的分かち合いの可能性にワクワクしています。確かに、分かち合いの経済の支持者はまた、気候変動や環境持続可能性との関係における分かち合いの有効性についても情熱的です。しかし現時点では僅かな人のみが、相互関係するグローバル問題および複雑な経済思考を理解し、簡略化および現実化するよう私たちを助力する、分かち合いの劇的な可能性に気がついているにすぎません。
 

もし正しく理解されるなら、分かち合いの原理は多数の世界問題を解決するシンプルな指針として機能でき、それは本質的に、社会機構を支えるべき道徳的価値観および倫理を反映します。この太古の原理を政治経済分野に適応することによって、経済および社会権利の論議の多くをいまだ駆り立てている多くの分割的「主義」の間を、私たちがしっかり進んでいけることをもまた可能にします。

これらと他の多数の理由のため、分かち合いのコンセプトに関してどのようなレッスンが地方経済からグローバル経済に適応できるかを問うアーティクルが執筆されることは励みになります。このアーティクルでは飢餓問題解決のために不可欠なパワー構造および政治について触れられていなくとも、その疑問そのものが、現在の経済的取り決めにとって劇的な重要性を伴った道徳的義務です。環境限界内で万人のための基本的ニーズを確保することにおいて政府が担うべき重要な役割についての認識なくしては、出現するグローバルな分かち合いの議論をチャリティのアイデアに限定するリスクを生みます。
 

これは、分かち合いの経済の全主唱者に知らずのうちに挑戦した、Institute for the Futureの研究部長ブラッドリー・クレイトによる短い意見記事を過小評価するためのものではありません。彼の言葉には、「第一に、出現する分かち合いのための努力をどのように地方からグローバルに動かすかについて考えるための長期的な疑問および機会」があります。

しかし恐らく真の疑問は:分かち合いの経済に関係した進化するアイデアおよび実践は、非政治化し地方および国家レベルに限定されたまま残るのでしょうか。それとも分かち合いの実践は、グローバルおよび政府間レベルでの大危機の解決策としてもっと大きな有用性があるのでしょうか。そしてもしそうであるなら、私たち世界の市民社会はそのためにどうするつもりなのでしょうか? 

Photo credit: sterile, flickr creative commons

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