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奮い立て、アメリカよ、奮い立て!

Mohammed Sofiane Mesbahi
2014年10月29日


アメリカ人活動家への手紙


アメリカ合衆国が今日の低迷と混乱の深みに沈んでしまった原因は何でしょうか。この国は、自由、正義、民主主義の理想に基づいて設立されましたが、ますます道を踏み外し、これらの崇高な概念を劣化させてきました。「世界を啓発する自由の女神」は頭を下げて、壊れた足鎖を組み直し、燃え立つトーチを手放す必要が本当にあるのでしょうか? おそらく、それらの足鎖は、奴隷制と抑圧の終わりではなく、非常に唯物論的で分裂的な社会にはっきり表れたアメリカンドリームの醜く幻惑的なアイデアを象徴しているのかもしれません。

私たちのほとんどがアメリカンドリームの追求に内在する危険性を認識しないのはなぜでしょうか?成功し豊かで幸せになりたいという願望の観点から、一般的にその意味を誰もが理解しています。しかし、この夢がどのようにアメリカの人々を誤り導き、あの偉大な国の真の価値をますます低下させてきたかということを省みる人はほとんどいません。実に、それはもともとあの大陸に合法的に住んでいた先住民の人々からの強奪に基づいて構築された夢です。ますます激化する商業化の道を通じて利益の追求を正当化する夢であり - これは、裕福で社会的に優位な生活様式を欲するアメリカの願望を満たすために必要な基盤です。アメリカンドリームは商業化に連れ去られたのではなく、初めから常に奔放に与えられていたのです。そしてその過程で、「自由の地」は、それが世界中に容赦なく輸出した市場勢力のイデオロギーの主要な支持者となり、広範な社会的混乱をもたらし、国際緊張を高めてきました。

内面的または心理的観点から、アメリカンドリームは、他者への影響に関係なく、大変多くの人々が常に捉えどころのない幸福の探求において富と成功を追求するように導くという点で、自己中心的で有害な概念として実際は認識されるべきです。それは、商業化勢力が私たちを操作し誤り導くためのとても効果的な道具を提供し、何百万人という若者がとらわれ続ける大きな嘘なのです。「偉い人(成功者)」になりたい、もっと裕福になりたい、そしておそらくは有名で有力になりたいという強い願望の中で、私たちのパーソナリティが貪欲と無関心に影響され、必然的に感情的聡明さが抑制されるようになるまで、それほど時間はかからないのです。内面的に知覚されるなら、貪欲はそれだけで、私たちをハートの現実とその属性から切り離し、他人の苦しみや幸福に対して無関心になるように、徐々に私たちに影響を与えるのです。私たちが名声や業績によって裕福になり成功することを望んでいなくても、アメリカンドリームの社会的条件づけは、私たちの個人的幸福の偏狭で物欲的、そして利己的な追求を通じて私たちの人生の目的を歪めます。私たちがこう疑問に思うことはめったにありません:それでは、成功しなかった他の人たちはどうなるのでしょうか?競争できないということは、彼らにはアメリカに住む権利がないということを意味するのでしょうか?

アメリカンドリームによってひどく条件づけられている人は、70億人の人々の相互に関連した生活の霊的現実ではなく、自分自身しか見えない思考的盲目の一形態にさらされています。周りで無数の人々が最も剥奪され絶望的な状況で生きているときでさえ、彼らが彼ら自身を愛国心の強いアメリカ人と呼ぶことを誇りに思うほど、彼らの愛は多くの場合、あまりに打ち砕かれています。この有害な条件づけはまた、アメリカが世界で最も重要な国であるという考えを持って子供たちが成長するよう拍車をかけ、恵まれない国の人々が経験する極度の貧困と苦難をほとんど認識せず成人期に入るように導きます。アメリカに住む人々にとって、アフリカが世界地図のどこにあるのかまったくわからないことは珍しくありません。遠方の地域の無数の罪のない人々にとって、アメリカの外交政策がどれほど壊滅的なものであるかを彼らが考えることがないことは言うまでもありません。

「アメリカンドリーム」は、悲しいことに、人類の一体性と相互依存の現実を認識することから歴代を通じて一般のアメリカ人を誤り導いてきたため、そのフレーズ自体が分裂的で、霊的現実から切り離されています。アメリカンドリームが辞書でどのように定義されていようと、霊的または道徳的な観点から、それは、過去数世紀から今日までに証明されているように、常に分裂と不正に関連づけられます。それは実際、無意識のうちに霊的熱望を仄かに帯びただけの独特な自己中心的アイデアです - それが本当に霊的ビジョンに鼓舞されていたなら、それは「ワン・ヒューマニティ・ドリーム」以外の何ものでもなかったでしょうからです。結果として、アメリカンドリームは常にコモンズの最高の理想からそれ自体を切り離してきました;つまり、全体としての人類の共通善です。[1]

アメリカの人々が自分たちの生活様式に適合し、世界の問題に心を閉ざすことができるなら、自分たちの国と生活様式を愛するのは当然のことです。しかし、アメリカンドリームの個人的繁栄と幸福は、今日の地球を悩ませているすべての危機と大規模な不正に照らして、もはや現実とは接点がありません。アメリカが世界の他の地域に腕を開くことをできないでいる間、毎朝「アメリカ合衆国への忠誠心の宣誓」を繰り返し続けることは、この点で実際には偏狭で無意味な行為です。一方の手を胸にあてアメリカ合衆国の国旗に向かって忠誠を誓うかたわら、アメリカ人だけでなく、世界のすべての人が自由と正義の権利を持つことを宣言する「世界人権宣言」の写しをもう一方の手で握ることをあなたは想像できますか?アメリカが世界の資源の膨大な部分を溜め込み浪費している一方で、何百万もの人々が飢餓と貧困から毎年不必要に死んでいるのを知ることは、どのように感じられるでしょうか。

合衆国全体の魂を象徴する真のアメリカンドリームは、他国との協力の中世界を助け、高揚させるものです。それは、世代を経て結晶化し、社会主義および共産主義の形態の対極として存在するアメリカンドリームの古い考えとは大きく異なります。真の崇高な概念は、包括的であり、排他的ではないはずですが、それでも資本主義国と共産主義国は各々の平等と公共の福祉のビジョンを実現できず、代わりに巨大な規模で人権を侵害し、広範な世界的紛争を扇動しました。これらのイデオロギーが2つ世界大戦の前後の両方で引き起こしたすべての痛みと苦しみにもかかわらず、共通善のための犠牲と協力的な分かち合いの必要な教訓を学んだ大国はありません。依然として世界を平和と繁栄に導くという役割を大統領が支持しているアメリカの独特なケースでは、それは国家安全保障をわざとらしく偽装した攻撃的な自己利益を追求することによって、反対方向に進むことを継続的に選択してきました。

アメリカは人道的目的のために海外援助に多大な貢献をしてきたと主張する人もいるかもしれません。しかし、不当な貿易や違法な戦争を通じて他国を搾取し、自らが引き起こした苦しみを和らげるために不正な手段で得た利益のごく一部を寄付することによって、それは実際には偽善の世界の慈善家の役を演じるのです。そして、アメリカで何百万人という国民が政府によって悲劇的に無視されていると同時に、貧困国や困窮している海外の国々を助けるために数十億ドルもが与えられているとき、その援助は完全な偽善を表しています。アメリカがデトロイトの貧困者や社会的に排除された市民を見捨てる一方で、たとえば、なぜそれは最近、東ヨーロッパのウクライナに10億ドルの援助金を与えたのでしょうか。[2] 明らかな答えは、連邦政府が主に国家の戦略的自己利益と利益を得る良い条件のために仕えているからだということです。これは、徐々にアメリカンドリームの古いアイデアと融合してきた商業化のゲームであり、現在では双方は事実上同義語になっています。

あまりにも長い間、アメリカは利益と権力の世界的な追求を維持するこの有害なイデオロギーに導かれ、それによって自称の道徳的価値をほとんど考慮せずに他の国々の生活を破壊してきました。何といっても、今日のアメリカの哀れな状態は、正しい人間関係の原理に基づいて、政治とビジネスのリーダーがより霊的な線に沿った完全な再教育を必要としていることを示しています。アメリカは、良識、謙虚、慈悲が政府と社会の輝かしい特徴となるように、自国と世界に対する優先順位を徹底的に変える必要があります。それでも、権力者のほとんどが商業化勢力に支配され、このシンプルな真実を述べることさえがファンタジーのごとく聞こえるとき、それは基本的な道徳的および霊的価値の議論をおよそユートピア的であるかのようにしてしまうのです。

アメリカが根本的に方向転換しない限り、まもなく、暴動、暴力、そしてあらゆる種類の社会的激変がますます起こるであろう、暗くて危険な路地にしばらくの間落ちていくでしょう。これが、アメリカ全土に長い間蔓延ってきた神経症、憎悪、犯罪のすべてに証明されているように、個人主義的で分裂的な進歩のアイデアを追い続けることの副産物なのです。米国の政治プロセスはますます腐敗し、利益志向となっていますが、国の債務は明らかに返済不可能です - したがって、今後必然的に金融危機の最終段階に突入するでしょう。そして、環境破滅や貧困国からの搾取の面でどれだけ犠牲を払っても、贅沢なレベルの個人的な富と物質的な快適さを達成する権利を誇りを持って信じるように依然として国民を仕込んでいる国にとって見通しは悲惨です。アメリカの生活様式をいつまでも維持していく見通しが不条理となった今、全国の多くの市民たちがどんより不吉な予感の中問い始めています:「指導者たちが無駄に約束した希望はどうなったのか。間もなくしたら、私たちにはどのような運命が待っているのだろう」

最も必要なときに国民を助けるどころか戦争から利益を上げ、企業の利益を守る政府の政策に対してアメリカ全土の善意の人々が一斉に蜂起し、平和的に抗議せねばならないことは間違いありません。たとえば、今財政破綻したデトロイトを誰が助けるのでしょうか。国の収入とリソースの多くを奪う国防総省か、それともCIAでしょうか。アメリカは、虐待され放置された子供たちが最終的に家を出て、自分たち自身の面倒を見ることをやむなくさせた、機能不全の家族のようになってしまいました。同様に、ワシントン州政府は、子供たち全員、すなわち50の州の世話を怠っている親のようです。デトロイトのような州の多くは、経済が崩壊するにつれて間もなく危機に陥るかもしれません。これらの州の多くが最終的にワシントンを完全に放棄することは避けられないのではないでしょうか。なぜなら、デトロイトをつくったのはデトロイトの人々であり、そしてニューオリンズをつくったのはニューオリンズの人々であり - ワシントンがつくったのではないからです。

*

2011年に全米に広がった大衆デモは、たとえ意識的にでなくても、どれだけの聡明な若者がアメリカンドリームとそれが象徴するすべてに飽き飽きしているかということを明らかにしました。そして平和的抗議で人々が一体となってデモ行進を行うという行為は、実際には愛と成熟性、そして聡明さの一表現です。愛には、真の意味での自由があります - それは、アメリカのより深淵な偉大さを何年もの間損傷させてきた古いもの、不正、大規模な窃盗、腐敗からの自由です。いわゆるアメリカの生活様式への偽のプライドに固執するのではなく、街頭に立って自由、民主主義、正義の本当の意味を支持する人々をアメリカ人は当然のこと誇りに思うべきです。

オキュパイ運動の抗議者の多くは、アメリカンドリームがどのように国全体を惑わせ分割し、世界舞台においてアメリカに下劣な評判を与えたかを常識的に認識しています。彼らは国の真の英雄であり、自由の女神の天辺に立ち、彼女のトーチに象徴的に火を灯しているべきです。大企業や私腹を肥やす政治家たちに絶えず自由意志を操作されるのではなく、成熟さと責任を持って生きることを望んでいるのは彼らです。私たちが執着せず正直に今の瞬間を自由に生きることを許す代わりに、アメリカンドリームの背後に隠れ、私たちが何を考え、何をすべきか指示することにより、私たちの注意を逸らすことを容赦なく試みる商業化勢力を非難するのは彼らなのです。もちろん、見当違いのプライドを持ってアメリカンドリームを今だ強く信じる大勢の人々は、戸惑いと誤解の中ズッコティ公園のテントを傍観し、抗議者たちがアメリカの生活様式を裏切っているとさえ感じました。しかし、アメリカのすべての人々が自問しなければならないときが来ています:この生活様式の意味は何でしょうか?そして、それは私たちをどこへ導いているのでしょうか?

政府と警察は、これらのテントを公共エリアから排除したと信じているかもしれませんが、アメリカの若者のハートに宿っているすべてのテントを排除できないということをわかっていないのです。政治家たちがテントが戻らないと信じるなら、それは深刻な間違いです。なぜなら、その数はすでにハートからハートへと静かにそして徐々に何倍にも膨れ上がっているからです。現時点では何も起きていないように見えるかもしれませんが、遅かれ早かれ、都市公園にテントの野営地が1つだけでなく、全国のあらゆるところにテントが絶えず出現し、急成長することは予見できます。

おそらく、警察が正義が実際に何を意味するのか、そして法と秩序の意味は何であるのかを自問しなければならないときが来ています。おそらく彼らは司法省内に社会動乱の政治的原因を研究するための特別機関を設立し、そして政府に有害な政策と間違った優先順位を通して動乱の原因となるのをやめるように言うべきです。政府が混乱と不正を生み出しているなら、警察が秩序を取り戻し、正義を支持するよう求めることはできないからです。街頭に立つ多くの人々は慈悲的で聡明であり、そして愛を持って彼らが真の意味での正義のデモンストレーションを行うために家を後にするとき、それは理にかなっているのでしょうか?したがって、警察はそのような善意で果敢にデモ行進をしている同士の市民を逮捕し、いじめ続けるべきなのか、あるいは彼らは政府に注目を向け言うべきなのでしょうか:もう沢山です!私たちは人間であり、機械ではありません。私たちはもはやあなたの腐敗した命令に従って私たちの同胞に立ち向かうことはしません!

当面のところ、商業化の支配的な法律が、私たちの街と街の広場からそれらのテントと抗議を一掃していますが、私たちが自分自身の中を注意深く見るなら、地球規模のテントが私たちの意識内で振動し始めていることがわかります。共同の試みにおいて私たち全員がこの地球規模のテントを組み立て始め、最終的にそのドームを中から見上げると、世界中のすべての人間の顔が反射するのを見ることができるように構築しましょう。アメリカの若者たちよ、非暴力的な抗議の全国的な波が最終的に地球規模に広がるまで、すべての州で止むことのないデモンストレーションを組織することによって道を示すことは君たちにかかっているのです。

正しい人間関係に基づいた公正で持続可能な社会を求めるすべてのグループは、変革への共通のビジョンを構造化するのには時間がかかるという事実を念頭に置いて、迅速に集結すべきです。これらのデモ行進や座り込みにはリーダーシップや明確な要求が欠けているとテレビで話すスーツ姿の専門家に落胆させられるべきではありません。それらの自己満足的で無頓着な批評家のほとんどは、今日のアメリカの若者のハートとマインドに何が起こっているのかおよびもつかないのです。そして、商業化勢力は、常に私たちを圧倒し、あちこちへ引っ張る強力な磁石のようであるため、正義と自由への包括的な呼びかけは、始めは構造化できないことが予想されます。したがって、新しい政策や制度上の取り決めに対する正式な要求を通じてあなた方の呼びかけをどのように構造化するかについて心配する代わりに創造的なデモンストレーションを根気よく続けることによって、世界中の人々が参加するよう促してください。

私たちの努力を統合することで、分かち合いの原理が社会で私たちの愛の表現を構造化するためのマスターキーであることに私たちはすぐに気づくかもしれません。この過小評価されている原理の最も重要な属性の1つは、自由と喜びの中、人々を結びつけることです。これは、世界中の多くの都市における近年の自発的な抗議運動で美しく(一時的であっても)実現されました。一体感と歓喜に溢れるイベントとしてのこれらの巨大な政治的デモは、過去のすべての「主義」と商業化の分裂的な毒とは対照的でした。近代史を通して見られた多くの暴力的な革命と比較して、非常に新しい何かが起きていることが感じられます。そして、その新しい要素は、統一されたグループ形成において、単に、ハートが話し、それ自身を自由に表現するのを許すことによって、ハートを一斉に解放することです。

私たちがマインドの知的内容を空にし、ハートの理解を通して世界を見るなら、私たちが最初に目にするのは不正ではなく、単に愛の欠如です。実に、あらゆる面で不正義の表れをもたらすのは、政治的統一体における愛の表れの欠如です。そしてそれが、分かち合いの原理がなぜそのように想像を絶する力を持っているのかという理由です。アメリカの若者は、愛と分かち合いなしにこれまで決して自由は存在したことがなく、また決して存在しないであろうことを知らねばなりません。今日、私たちはあまりに複雑で商業化された社会に住んでいるため、愛さえが傷ついた、悲しい、無意味な言葉となっています。それでも、私たち全員が世界の資源をより公平に分かち合うことさえできるなら、私たちの生活はとても歓喜に溢れた創造的なものになり得るのです。

したがって、政治経済学および私たちの日常生活の関係から、分かち合いの意味について考える時間を持つことは不可欠です。なぜなら、分かち合いは、正義のある健全で維持可能な生活の表現への最も忠実なガイドだからです。社会主義、共産主義、またはその他の政治的主義について話しているのではありません;政府がそれを社会経済政策において実現するなら、最終的に私たちの病んだ社会を癒し、世界の多くの問題を解決することができる普遍的な原理について話しているのです。

結局のところ、私たち全員から奪われた愛と喜びのためでないなら、なぜ私たちはデモをしているのでしょうか。豊かな世界の中で私たちを互いに分断している極度の貧困と富のためでないなら、なぜ私たちはデモをしているのでしょうか。魂を抜かれたような日々の不安の中で、毎日が同じに感じられる非常に分極化され意気消沈した社会で絶えず私たちに降り注ぐイデオロギーと主義のためでなければ、なぜ私たちはデモをしているのでしょうか。間違いなく、占拠運動は、政治を変革し経済を改革するだけでなく、生きる喜びを取り戻し私たちのハートを再び霊的に占拠するためにも始められたのです。私たちは単に子供たちと未来の世代だけのために戦っているのか、それとも私たち自身のためにもより良い何かを切望しているから戦っているのでしょうか? - 真の自己を抑圧する絶え間ないストレスとお金儲けから解放されて、連結感と目的感を持って毎日を新鮮に新しく生きることをも私たちは欲しているのではないでしょうか。

純粋に実際的な観点からさえ、資本主義やシステムとの果てしない戦いに従事するよりも、政府が分かち合いの原理を実現するよう求める私たちの呼びかけを統一することは戦略的に有利です。若者は、反資本主義の立場をとるなら、私たちが商業化の狼の口にすぐさま落ちることも知っておくべきです。システムは、私たちが「反」や「主義」の考え方を身につけることを欲しています。資本主義自体が、私たちの対立や敵意を栄養源とするとても賢く洗練された「主義」だからです。怒りを表明し、不正の体系的な原因に反対する権利が私たちにはありますが、それを守るために動員された勢力があまりに圧倒的で、それが明らかに法律によって保護されているとき、システムと戦うことは無駄です。私たちがこれらの勢力と対立した途端、これらはすぐに私たちを倒し、屈辱を与え、巧妙に暴力に押しやります。そして、暴力はさらなる暴力を生み、そしてそれはまさにシステムがそれ自体を守り永続させるために欲するものなのです。

したがって、私たちはこの罠に陥らないように非常に注意する必要があり、企業化されたシステム自体に「対立」または「反」することを考えさえすべきではありません。代わりに、私たちはハートの聡明さを通じて取り組むべきです。なぜなら、これが、商業化勢力が潜入できない唯一の場所だからです。私たちを結びつけるのはハートであり、アイデアそのものではありません。なぜなら、一つの人間のハートの知恵の中には、すべての人類の知恵があるからです。イデオロギーによって引き起こされた革命は、常にさらなる社会的分裂と暴力につながりますが、ハートに携わることから始まる革命は、自然に、良識、一体感、分かち合い、そして包括的な愛につながります。何百万人もの人々が集まり、正義を達成するための手段として分かち合いを呼びかけることで、権力層の政治家や警察でさえが最終的に参加することはあり得るのではないでしょうか。

だから、過去のすべての主義や間違った教育から離れて、いつまでも街頭に集まり、私たちのハートの切望を賢明に表現しましょう。私たちの政府が自らと経済を再構築することを、社会主義、資本主義、その他の主義の名の下に要求するのではなく、真の私たち - つまり尊厳、自由、平和の中進化する平等な権利を持って生まれた私たち人の名において要求しましょう。これがアメリカと世界を変革するために必要な意識の転換であり、イデオロギーや自己利益についての考えがないときにのみ起こり得るのです。

社会のすべての問題は日々深刻化しており、これまでのように生き続けることは不可能であることを私たちは知っています。私たちは利己的で物質主義的なやり方に飽き飽きしていて、その過ぎ去った時代に戻りたくありません。そしてその上、私たちにはもはやそうできる余裕がないのです。ですから、公正な資源の分かち合いを要求し、政治家が私たちを世間知らずと呼んでも気に留めないことです。分かち合いへの呼びかけは、良識と道理がハートと融合したところから来ることを私たちは知っています。もはや有害な商業化のゲームに準拠することを拒否し、一緒に新しい生き方、新しい世界、新しい制度のために、デモンストレーションを行いましょう。

同時に、アメリカの正義などというものは存在せず、普遍的な次元における正義があるだけだということを認識しましょう。そして、自由の概念は、アメリカだけを象徴するのでも、アメリカだけのものでもありません - あなたがどこにいようとそれは生を象徴し、愛そのものに属すのです。それは常にそうであったし、これからもずっとそうであるでしょう。このように、私たちの要求はアメリカの国益に限定されるべきではありません。それはオキュパイ運動が初めて出現したときの決定的な誤りでした。なぜ私たちは他の国々の兄弟姉妹のために、分かち合い、自由、正義への展望を支持しないのでしょうか。なぜ私たちは自分たちは世界の70億人の99%だと言わずに、アメリカの99%だと言うのでしょうか。私たちは覚えている限り、すでに国事に集中してきましたが;今こそ、私たちが人類全体のニーズを受け入れるときです。今こそ、平和的な抗議デモにくり出し、尊厳の中で私たち自身を高揚させ、他者への慈悲心と愛を通じて意識を地球規模に拡大するときが来たのです。

明らかに、アメリカで起こっている問題は、世界の至る所で勃発している前例のない数の大衆抗議デモに反映されるように、世界中で起こっています。私たちの共通の要求が正義と平等の真に国際的な展望から発しているなら、他のグループが海外の都市で同じことをしているのを見て私たちはより勇気づけられ、彼らもまた同様に私たちの行動によって勇気づけられるでしょう。共に、24時間体制のデモに参加し続け、ますます多くの支持を得るために、お互いを誘発し合いましょう。これが、アメリカの若者がどのように世界の参加を鼓舞し、分かち合いへの要求が世界規模で急速に拡大できるかということです:アメリカの3億人の99%ではなく、地球という家を私たちと分かち合う70億人の99%の懸念を支持することによって。

この理解から、私たちは世界人権宣言の第25条をスローガンとして採用すべきです。なぜなら、それは、国内の蜂起を自然に構造化し、他国でのデモへの道を照らすであろうからです。この尊ぶべき条項が述べているように:「すべて人は、衣食住、医療及び必要な社会的施設等により、自己及び家族の健康及び福祉に十分な生活水準を保持する権利並びに失業、疾病、心身障害、配偶者の死亡、老齢その他不可抗力による生活不能の場合は、保証を受ける権利を有する。私たちが認識した明らかな理由のために、これらの基本的権利がすべての人のために満たされているところは世界のどこにもありません - その理由には、エリートの特権と商業化の利益を保護する法律や、国連の創設ビジョンを事実上放棄する国際競争の政治などが含まれます。アメリカの外交政策の秘密の策略は、他のすべての大国の利己的な地政学的戦略とともに、何百万もの世界の人々にとって第25条の暗黙の否定を表しています。それでもなお、米国政府は臆面もなく世界の正義と人権を支持していると依然公言している一方で、4万人が飢餓と貧困の病気で毎日不必要に死んでいます。[3] 彼らは私たちを馬鹿にしているのでしょうか。そしてこの日々の大虐殺が続く間、私たちは沈黙し続けるのでしょうか?

したがって、私たちが一つの人類の共通善と私たち自身を同一視するなら、私たちが世界のすべての人のハートとマインドを代表するスローガンとして第25条を支持することは適切です。私たちは皆、平和を望み、正義を望み、清潔で安全な環境を望んでいます;しかし、私たちが自分たちのためにその平和と正義を求める前に、豊かな世界での飢餓と極貧の冒涜が絶対的に撲滅されねばなりません。それは道徳と正義の問題であるだけでなく、聡明な戦略と良識の問題でもあります。私たちは何百年もの間資本主義とシステムと戦ってきましたが、それでも大多数の貧しい人々と排除された人々にとって状況はますます悪化する一方です。したがって、私たちの戦術を変えて、斬新な社会変革のための普遍的なアプローチとして第25条の要求を統一しても、何も失うものはありません。

これが私たちの社会と集合意識に与える高揚効果を過小評価することはできません。連帯と集結した善意の絶え間ない世界的な行動を通じて極度の貧困の根絶を求める膨大な数の人々を街頭で私たちが目撃したことはかつてありません。アメリカの活動家がこのように、分かち合いの原理に基づいて国内および国際的な経済政策の両方を提唱した場合に何が起こるかを想像できますか?貧しい人々もこの急増する大衆運動に参加し、それを強化するであろうことから、ニューヨークシティはテントと不断のデモ活動で溢れかえるであろうことは確信できます。さらに、アフリカやアジアから南アメリカまで、他の大陸では何億もの人々がこの呼びかけに耳を傾けるでしょう。なぜなら、私たちは彼らの生活についても話しているからです。

ですから、これを私たちの断固とした呼びかけとしましょう:私たちが住んでいるこの腐ったシステムに「対立」した革命を扇動するのではありません。なぜなら、イデオロギーと主義の果てしない戦いの中に私たちの声が失われるとき、それはおそらく何も達成しないだろうからです。このシステムは、どのような形であろうと残るのですから、最も緊急かつ重要なこと:つまりすべての男女子供に基本的な社会的経済的権利を直ちに保証するという完全に包括的な要求を通じて、私たちはむしろそれを変革すべきです。 

私たちの政府が、優先順位を完全に並べ替え、世界資源を分かち合うために他国と真の協力の中取り組むよう圧倒的な国民の圧力に駆り立てられさえするなら、これがどれほど簡単に達成できるか想像してみてください。歴史がしばしば明らかにしているように、ほんの一握りの人々でも、機が熟しつつある思想を持って、彼らが適切なときに適切な場所にいるならば、信じられないほどの変革を起こすことができるのです。そして今こそ、世界を啓発する自由の女神に再び命を吹き込む時なのです。彼女が抗議してトーチを落とし、「第25条:真のアメリカンドリーム!」と書かれた巨大な旗を掲げるまで。
 

奮い立て、アメリカよ、奮い立て! 

光へ向かって僕の希望を高揚させたテントと占拠者たちが懐かしい。
君たちは皆、どこにいるのか。
君たちの痛みと熱望が今でも感じられる。
夜の熱の中に君たちの声が今でも聞こえる。
君たちの顔、歓喜、新しい生活への呼びかけが懐かしい。君たち皆が懐かしい。
君たちは皆、どこにいるのか。
君たちが全世界の希望だということを、わかってくれさえするならば。 

 


注釈

[1] cf. もハメッド・ソフィアン・メスバヒ、人類のコモンズ、Share The World's Resources, 2017。

[2] ウクライナの例は、大規模な抗議と当時の大統領ヴィクトル・ヤヌコビッチの暴力的な排除をもたらした地域全体の危機に続く2014年の執筆の時点で関連がありました。政治的紛争は、ウクライナの親欧米政府を支援することに長年の関心を持っていた米国や他のヨーロッパの大国によって操作されていました。米国のデトロイトについての言及も重要でした。なぜなら、同じ時期に、デトロイトは米国史上最大の地方自治体の破産を起こしたからです。その頃デトロイト市は、その主要な経済的および人口統計学的衰退、深刻な都市の衰退、および広範囲にわたる貧困(米国の71の都市すべての中で比例して最も高い)で有名でした。

[3] この数字は疑わしいほど大きいように見えるかもしれませんが、実際には、極度の貧困と不十分な社会的保護の結果として毎日不必要に死ぬ人々の数を過小評価している可能性があります。この計算は元々、2012年の世界保健機関からの「疾病負荷と死亡率の推定値」に基づいていました。WHOによって「グループI」の原因として見なされている、伝染病、母体、周産期、栄養の病気のみが分析の対象となりました。これらの原因による全死亡の96%は低中所得国で発生しており、大部分は予防可能であると考えられています。しかし、世界中の生命を脅かす剥奪の真の範囲は、主流メディアによってほとんど無視されており、2020年初頭以降のコロナウイルスのパンデミックの結果として大幅に増加する方向に向かっています。この本が出版されると同時に、国連はすでに、紛争で傷ついた国に住むさらに1億3000万人の人々が飢餓の危機に瀕していると推定しています。 

モハメッド・ソフィアン・メスバヒはSTWRの創立者である。

編集協力:アダム・パーソンズ

Photo credit: Shutterstock, copyright Misti Hymas

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