STWRエディトリアル:#ひとつの人類としての分かち合いへの呼びかけ

STWR

他人の絶対不可欠なニーズに対して公衆の道義心が十分に目覚める時初めて、そして私たちの中の最も貧しい人々の基本的権利のために人口の大部分が立ち上がる時初めて、私たちは分かち合う人類について何ら意味を持って話すことが出来るのです。


先週末、世界中の人道支援に従事する人々の取り組みを称賛するために、そして生存のために人道支援を現在必要とする1億3000万以上の人々との世界的連帯を呼びかけるために、世界人道デーが見守られました。それは特に、去年の#シェア・ヒューマ二ティ・キャンペーン及び今年のテーマとして指定された「ひとつの人類」の観点から、非常に多くの国々に広がった悪化する紛争、拷問、病気、飢餓、そして苦しみについて熟考するための機会を善意の人々に提供しました。それは、人類がより大きな責任感とグローバル・コミュニティ感覚を発達させており、そして分かち合う必要性を受け入れているということが本当に言えるということでしょうか?

現実には、私たちの世界における分かち合いの欠如は恐らく第二次世界大戦以来、これ以上悲惨なことや緊急を要したことはなかったように見受けられます。世界人道デーに先立って、「誰一人取り残さない」と政府が約束したにもかかわらず、2030年に貧困で生活する何百万いう人々を取り残したままにする可能性を持つ極度の格差を強調する4、5の報告書が、国連機関やチャリティによって発表されました。現在の動向において推定6900万人の子供が主に予防可能な原因から死亡し、おおよそその半数が、2億4700万人の子供が生存し発育するために必要な必需品を欠くところのサブサハラ・アフリカで起こるでしょう。それはサブサハラ・アフリカの子供三人中二人にあたります。この統計の背後にあるのはまた、シリア、イラク、アフガニスタン、イエメン、南スーダン、そしてソマリアなどの「生き地獄」と国連事務総長が称した場所に住む、さらに何百万という多くの貧困家族の暗い先行きです。

飢餓や剥奪関係の病気からの予防可能な死の道徳的屈辱を防ぐために、どれだけ僅かな世界資源しかわかち合われる必要がないかを示す多くの解説や分析が常にあります。例えば、毎年250億ドルを追加することにより、最も貧しい国々が基本的医療のニーズを充足することを促進し、2015年に治療可能な原因から死んだ5歳以下の590万人の子供が可能性として救われていたかもしれません。そのような金額は、もしすべての富裕国がGNIの0.7%を外国援助に当てるという彼らの長年の誓約を果たしたとしたら、あるいは、もしグローバル基金が常識的政策措置 – 富裕者や企業のオフショア預金への課税、経済投機への僅かな課税、軍事費の向け直し、そしてその他諸々 – を通して資金が供給されたとしたら容易に都合がつくでしょう。

誠に、武器貿易条約の実施に関する第2の会議をもって今週再び注目されたように、2015年の世界的軍事費は公的資金のおおよそ1兆6700億かかりました – この大部分は貧困層を支持する投資や飢餓根絶に向けて再分配されることを、殆どの納税者が望んでいるのは確実です。明らかに、極貧で生活する8億7000万人が社会保護のどのような形態をも欠いていることを考慮すると、最も恵まれない人々のための十分なレベルの経済的保護を最も貧しい国々が提供するのを促進するために必要な、世界所得の0.3%を人類が出せないはずはありません。

万人のこれら最小限の保証を守るための政治的意思をたとえ政府が持っていたとしても、公平と必要に基づき地球資源を分かち合う「ひとつの人類」として自身を述べることが私たちには可能でしょうか。私たちの不十分な外国援助システムは「分かち合いの経済」から程遠く、この視点から、少なくともその資金は国際的に蓄積され、自動的メカニズムを通して調達されるべきです。差し当り、ノースからサウスへの莫大な資源の移動が、公平な開発アジェンダを融資し、富裕国及び貧困国の間の差を閉じることの中心となるのは明瞭です。しかし恐らくいつの日か、世界的な税制や他の革新的な基金源によって融資された、国際レベルで社会・経済権の充足を保証する民主的システムに置き換えられた、援助やチャリティのすべてに終止符を打つことを私たちは心に思い描くことが出来るでしょう。

これらのどのようなヴィジョンも、私たちの社会のますます強大になる商業化によって、分かち合いと再分配の国家システムの下地となる原理が弱体化されている限りは幻想のままであり続けるでしょう。それがなぜSTWRの提案の中心に、万人の十分な食糧、住居、医療及び社会保護のための世界人権宣言第25条に要約された、基本的権利を支持する莫大な平和的抗議デモを通して一般人が結束するための呼びかけがあるのかということです。そうでなければ、さらに何百万の人々が早死にするまま放って置かれる傍ら、2017年に開催される持続可能な開発目標のための次回の誓いのサミットなど、ハイレベル会議がさらに繰り返されて行くことが予想出来ます。

他人の絶対不可欠なニーズに対して公衆の道義心が十分に目覚める時初めて、そして私たちの中の最も貧しい人々の基本的権利のために人口の大部分が立ち上がる時初めて、分かち合う人類について何ら意味を持って私たちは話すことが出来るのです。STWRの創始者、モハメッド・メスバヒが主張して来たように、拘束力のない開発目標を定め不十分な外国援助をただ再分配する代わりに、世界がついにその豊富な資源をすべての国々の間でもっと平等に分かち合いさえするなら、それが、「援助」「チャリティ」、そして「人道支援」などの言葉が心理的に無意味で馬鹿げたものとして考慮されるかもしれない時なのです。


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