STWRエディトリアル:2017年、分かち合いと希望の正当性を論議する

STWR

世界情勢が悪化し続けると同時に、2017年、国際舞台における新プレイヤーが出現するでしょう。それは、生命を脅かす貧困と飢餓への政府の緊急対応を要求する、大衆の善意の膨大なムーブメントです。


長年にわたってSTWRは、生命を脅かす貧困及び飢餓の問題の周りにおける市民社会の大規模な動員への正当性を裏付けて来ました。組織としての私たちの基本的なアドボカシーの立場はこれ以上シンプルであり得ません:それは、すべての国での極端な人間貧困の防止を最優先し、世界修復への緊急な必要が最も恵まれない人々を代表して話す統一した人々の声を持って始まらねばならないということです。また地域紛争や環境劣化の点においても、地球資源のより公平な分かち合いへの普遍的要求を通してのみ、惨事的な現在の動向の段階的な巻き返しを目撃し始めることが可能でしょう。それにもかかわらず、これは、政府が不可欠な資源を世界の最も排除された人々に再分配する必要性に集中した、断続する平和的デモンストレーションのために一般人が街頭に出ることを必要とするでしょう。

飢餓及び貧困関連の苦しみを根絶することは、公正で持続可能な進路に世界を転換させるには十分ではありませんが、私たちの多くの発表文献の中で繰り返されているように、この前例のないグローバルな結束の現れのドミノ効果を過小評価することは出来ません。そのビジョンはシンプルであるにもかかわらず、まるで社会は私たち共通の人間性と慈悲心へのそのような訴えかけからますますかけ離れて見えるかもしれません。ヨーロッパでのファシスト政党の隆盛、アメリカ大統領選挙としてのビリオネア扇動政治家の当選、そして拡大する多数の難民と貧しい移民者を迎え入れることに対する広範囲な大衆主義的反応を踏まえると、他人の切実な苦しみにより動機付けされた一般市民の真にグローバルなムーブメントを実現するどのような希望があるのでしょうか。

シリア、イエメン、ナイジェリア、そしてその他の場所で急増する人道危機についてマスコミが目立った報道をするかもしれませんが、最高25億人を苦しめ、日々数万人の不必要な死をもたらす慢性的な飢餓及び栄養不良の隠された危機について耳にすることは殆どありません。献身的に取り組むNGOや国連機関は、この恥知らずな人間の大惨事の最悪の影響を緩和するために、止むことなく取り組む傍ら、その真の規模にあてがわれるマスコミの注目の欠如は、一般大衆の関心の欠如、懸念の欠如及び純然たる自己満足的な無頓着さを示しています。

私たちが好きなだけいつまででもグローバルな再分配政策を提唱することは可能ですが、世界舞台における決定的な新プレーヤーなくして政府の優先項目の完全な転換はあり得ないでしょう:それは、共通の普遍的懸念の単一プラットフォームを基盤とした大衆の善意のムーブメントです。これがなぜ、STWRの提案の中核が、世界中の活動家と従事する市民がこれから先の彼らの抗議スローガン、目標及びヴィジョンとして世界人権宣言第25条を支持するよう要求することであるのかということです。私たちの最も重要な発表文献に詳しく述べられるように、世界人権宣言第25条実現への止むことのない要求は、富裕層及び貧困層双方の市民を結ぶ方向における「抵抗最小限の道」であり、それによって資源を再分配し、グローバル経済を再構築するよう政府を駆り立てます。それはまた、「私たち人民」の組織として国連を取り戻すことの最も確実な道でもあり、もし政府が世界情勢に分かち合いの原理を実現するよう駆り立てられるなら、国連システムの主要な民主化をもたらす可能性があります。
 

それにもかかわらず、普遍的権利と世界的平等の途方もないビジョンを実現する希望は、もうひとつの決定的な要素を除いて全くないのです。その要素とはすなわち、革新的な政治思想家によって認識されることが殆どないハートの参加です。STWRの創始者、モハメッド・メスバヒはこの核心的テーマの周りをまわる先駆的な考察シリーズを執筆しました。その中で彼は、システムや、どのようなイデオロギーまたは「主義」にも「対立する」ように方向付けられることがもはやない代わりに、異なった大陸を越えて共通目標を持つ無数の一般市民を動員出来る経済的分かち合いへの包括的な要求によって動機付けられた、新たな種類のグローバル行動主義への必要性を明確に話しています。資本主義に対立するなど、どのような信念やイデオロギーに対しても「反」となることは無益であり;資本主義をその適切な場所に置き、世界資源を最も必要とされるところに再分配するべき時が来たのだと彼は議論します。

そしてまた、最も恵まれない人々を助けずして世界はより良い場所となり得ず、それは、世界全体で生命を脅かす剥奪の状況を至急防ぐための緊急援助プログラムを政府に要求することを意味すると、メスバヒは記しています。これらの目標に向けて公衆の平和的な蜂起は、世界の再構築のプロセスにおける第一段階そのものであり、そして彼の断続する著作の中に埋め込まれたシンプルな指示を追うことによってこの並外れた目標をもたらすことが出来るのは、若者たちなのです。例えば、アメリカの活動家たちは、世界人権宣言第25条への協調したフォーカスを持ってニューヨークの国連本部を取り囲み、24時間体制のデモンストレーションを通してオキュパイ運動を蘇らせるための、戦略的正当性を論証する「奮い立て、アメリカよ、奮い立て!」の中で与えられる指示に注意を払い、それを広げるのが良いでしょう。同じ一連の行動を追求するよう他の国々を招く止むことのない連帯活動に表現されるように、極端な貧困の廃絶をこのように街頭で要求する莫大数の人々を、私たちはかつて見たことがありません。
 

この提案がどのように夢想的に聞こえようと、世界革命に関する一定の理想主義的で曖昧な自説を満足させようと試みることから程遠い、人間の差し迫った必要性に公衆の注意を再び向けること以外それは何も前提としません。豊かさの中の広範囲にわたる極貧、人間の苦しみの激化の中での縮小する援助予算、激化する富の集中化の中での緊縮財政の現在の状況において必要とされる唯一の種類の革命は、従事するハートの良識によって特徴付けられる心理的革命です。それは再度、メスバヒの執筆の中で多くの時間が費やされる主題であり、そして日常生活の中、特にこのお祝いの時期とクリスマスの放蕩な消費主義の中で、それが私たちにとって個人的に何を意味するかについてじっくり思案すると良いでしょう。貧困に打ちひしがれた地域の何百万人という男女子供が、クリスマスのご馳走の贅沢どころか生活必需品を剥奪されている時、愛と善意を持ってクリスマスを祝うとは何を意味するのでしょうか。「クリスマスとシステムと私」でメスバヒが記すように;

「世界の苦しみと危機的問題の全てを踏まえると、今年、クリスマスを祝うにあたり不正と貧困根絶のために街頭へでて平和的デモンストレーションをするより他に良い方法があるでしょうか。これ以上木を切るのをやめよう! これ以上度を超したプレゼントを買うのはやめよう!と言うために。そしてひいては世界中の人々が食べ物を得て、保護され、育まれるよう私たちの声を上げるために。貧困が原因で毎日数万人が死んでいる事実を考慮すれば、それは私たちが知り得る最高のクリスマスとなるのではないでしょうか。なぜならその結果、私たちは家族や友人に忠誠と親愛の情を表すだけでなく、全世界と共に愛情あふれた結束の中に立つであろうからです。今日もしイエスが私たちの間を歩いていたら、彼はまさしく私たちにそうするよう呼びかけていることでしょう」。

これが、STWRがホームページとオンライン・ネットワーク、そして会議やその他のフォーラムを通して、どのような手段を用いても、2017年に広げ続けるであろう基本的メッセージです。世界情勢が悪化し続けると同時に、そして愛と憎しみの間の反作用が社会を分極化し続けると同時に、分かち合いの正当性を支持するという善意の人々の責任がかつてこれほど大きかったことはありません。新意識が日々拡大し、頂点に達する危機への最後の対応として、分かち合いの必要性を受け入れる証拠があらゆるところで見られます。それゆえ、世界の富裕層が最終的に貧困層の勢力に加わり、世界資源を分かち合うことを支持する莫大な世論を共につくり出すまで長くはないかもしれません。

 

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